20代で起業に失敗した私の悲惨な失敗談

起業に失敗すると本当に悲惨

今でこそ、こんなブログを楽しみながら書いている私ですが、実は一度、20代の時に起業に失敗しています。

起業に失敗すると、それはもう悲惨です。
絶望的な末路が待っている事もあるでしょう。
事業の資金としてつぎ込んだ、それまでコツコツ貯めたお金は水泡に帰し、逆に借金にまみれる事もあるでしょう。
破産などしたら、社会的な信用情報が悪化し、まともな生活を送れなくなる事もあるでしょう。
夫婦不和になり離婚に発展してしまい、家族さえ失う事もあるでしょう。

私も最初の起業に失敗した当時の8か月ほどは、地獄のような時間を過ごしました。

私のように、一度失敗していながら再起できている人はなかなかいないと思うし、本当に幸運な事だと思っています。

正直、人生の中では完全な黒歴史です。
なので、今までほとんど人に話した事はありません。

だけど、普通はなかなかできない経験をしている私だからこそ、起業を目指す方には、起業失敗の事例として参考になるお話しをさせていただける事もあるのかなと思います。

ここでは私の起業の失敗談と、起業に失敗してその後どうなったのか、体験談としてご紹介したいと思います。

充実していた社会人生活

私は以前、東証一部上場企業に勤務していました。
入社したのは25歳になる時です。
それまでは職を3社ほど転々としていましたが、2人目の子供が生まれたのを機に、良い給料をもらえるちゃんとした会社に就職しようと思い、その会社に入社しました。

その当時は上場企業ではなく、単なる一中小企業でした。
本州企業だったのですが、私は地元札幌の営業所に配属となり、営業マンとして働き始めました。

仕事は楽しかったです。
初めて経験する、本格的な営業職です。

自社製品を販売するために、様々な作戦を立てたり、時には自分でキャンペーン企画を考えて取引先に提案したり。
それ以前と比べると給料も大幅に上がり、やりがいのあるサラリーマン生活を送っていました。

職場は優しくて楽しい先輩達に仕事を教えてもらったり、時には一緒に飲みに連れて行ってもらったり、社会人最高!と思っていました。

私生活でも、年子のとても可愛い息子たちがいて、家族のために頑張る毎日に大きな充実感がありました。

ところが、入社して1年ほどが経過した頃、そんな充実した毎日が唐突に一変してしまいました。

直属の上司の、今で言う所のパワハラが始まったのです。

パワハラでやむなく退職、そして起業へ・・・

上司のパワハラは何が原因だったのか、いまだに分かりません。
その上司には入社以来可愛がってもらい、とても良好な上司と部下の関係を築いていたと思っていました。
それが、何が気に入らなかったのか、いや、すべてが気に入らなかったのでしょう。

猛烈なパワハラが続きました。

毎日2~3時間の説教は当たり前。時には先輩達もいる前での公開説教です。

営業マンなので、上司との同行営業なんかもありました。
ましてや若手社員なので、指導の名目の下、同行営業は頻繁にありました。

それはもう地獄です。
車中、一日中いじめ倒しです。
その上司が狂気的だったのは、訪問先の得意先でも公開説教的ないじめを受けていた事です。

ちなみにお断りしておくと、今はその方の事を恨んだりはしていません。
当時は違いましたが、今は本当にまったく何とも思っていません。
むしろ良い経験をさせてもらったと感謝しているくらいです。

ただ、当時は地獄の毎日です。

耐えきれず、退職を考え始めました。

そこで転職の手段として考えたのが、起業だったのです。

はぁ~???・・・と思いますよね?
分かります。

起業する業種を決定!

ひとまず、話を続けさせていただきます。

何の業種で起業しようとしたのかと言うと、たこ焼き屋さんです。

それを選んだ理由は、当時は自分でたこ焼きを焼くのが好きだったから。
そして、移動販売の仕事をしてみたかったからです。

スーパーの駐車場や屋外イベントで、たまに移動販売車を見る事がありますよね?
あれをやってみたいと思っていたんです。

あまり正確に記憶していませんが、当時色々調べると、確か150万円くらいでたこ焼きの移動販売車が買えそうでした。

そして、一応拠点を持つのに、小さな小屋のようなスペースを借りて、焼き台と冷蔵庫を揃えたとして、300万あれば行けるだろうと。

そんな事を考えていたある日、中古自動車店を営む知り合いの方から、仕事上の付き合いがある人物で、コロッケの移動販売をしている方がいると聞きました。
その方を紹介してもらいました。

とても良い方でした。
コロッケの移動販売について、本来は某食品メーカーの直営店でしか販売しないものを仕入れる事が可能で、希少性がありとてもよく売れる事を説明されました。
その他、この仕事がいかに儲かるか、熱く教えてくれました。

まあ、要するにそのキッチンカーを私に押し付けて処分したかったんでしょうね。

世間知らずだった青年の私は、そんな事に気付くわけもなく・・・。

その途中の経緯は省略しますが、コロッケの移動販売車を250万円で買って、起業する事にしました。

ここまでの話を聞いて、どう思いますか?
成功する訳がないと思いませんか?
失敗しないわけがないと思いませんか?

あまりにも無計画、無鉄砲。

今思えば自分でも信じられませんが、当時はこれで明るい未来が開ける、くらいに思っていました。

無謀な起業をスタート・・・したいが資金がない!

ところが、大きな問題が一つありました。

それは、自己資金が1円もなかった事です。

無計画、無鉄砲な上に、無一文。

そこで私は、父親を頼りました。

余談ですが、私は、今は亡き父の男手一つで育ちました。
その父に、会社でパワハラを受けている事、会社に行くのは精神的に無理な事、これを機に起業したい事、すでに実績のあるコロッケ屋さんを引き継ぐことができる事、等々を説明しました。

父は快く、とは言いませんが、運転資金も含めて400万円を融資してくれました。

「頑張って稼いで必ず返せよ」の一言を添えて。

私の父親は当時、これまた脱サラして飲食店を経営していました。
ご多分に漏れず、経営はお世辞にも順調と言える状況ではありませんでした。

父にとって400万円はもちろん大金であり、老後のための大事な大事な資金でした。
息子を思い、なんとか力になってやろうと、その大事なお金を用立ててくれたのです。

それを思うと、今でも泣けてきます。

何はともあれ、開業の目途が立った私は、意気揚々と上司に退職届を出し、会社を辞めました。

上司の最後の一言を今でもはっきり覚えています。

「奥さんは何と言ってる?」

私の妻や家族に恨まれるのが怖くて、それだけを気にしていたんでしょうね。

今となってはどうでも良い事ですが。

いよいよ開業

いよいよ開業です。

今思えば、本当にひどいものです。

健康保険については、前勤務先の保険を任意継続で使ったのか、国民健康保険に入ったのか、全然覚えていません。小さい子供がいたので未加入ではなかったと思います。

一方で間違いなく年金は払っていません。
ねんきん定期便を見れば、その期間に厚生年金はもちろん、国民年金も払った記録がありません。

個人事業の開業届も出していません。
もちろん、その間の税金も払っていません。
もっとも、赤字なので払う税額自体がないのですが。

あまりにもいい加減で不勉強な中での開業でした。

果たしてその結果は・・・

あらためて言うまでもないでしょう。

キッチンカーを購入して必要な備品を購入した後、手元に残っていた百数十万円の資金は、半年と持たずに底をつきました。

不安と恐怖と後悔と情けなさで、毎日泣きました。
大げさではなく、本当に毎日涙を流して泣きました。

これ以上やっても無理と言う事には早々に気が付いていましたが、なぜか再就職しようと言う考えには至っていませんでした。

もう駄目だ・・・どうしよう・・・そんな事しか考えられませんでした。

泥沼の状態

資金が尽きた私は、消費者金融のキャッシングローンに手を出しました。

起業に失敗する人の中でも、最悪のパターンに完全に陥っていました。

どこの消費者金融会社かは覚えていませんが、当時のキャッシングローンは限度額50万円、年金利29%くらいだったはずです。
もう時効になってしまっていますが、きっと過払い金請求したなら結構な金額が返ってきたと思います。

ところが、当たり前のように、あっと言う間に限度額50万円に達してしまいます。

その間、売り上げが改善していた訳では、もちろんありません。
売上が改善する見通しもないのに借金とか、絶対にやっちゃダメなパターンです。

しかし、もはや後の祭り。
もう打つ手なしです。

死のう・・・

自殺が頭の中にリアルに浮かびました。

当時は退職後も生命保険だけは解約せずに払い続けていました。

まだ若かったので、何かあった時に家族に残せるようにと、死亡の保険金は3000万円くらいにしていました。

それだけあれば、何年かは暮らせるだろう。
その間に、新しい父親になってくれる人を見つけてくれればいい。
そんな無責任な事を本気で思っていました。

どうやって人に迷惑をかけずに、なおかつ苦しまないように、そして保険が出るように実行するか。
そこまで考えていました。

家で見る、幼い息子たちの顔を見るのが、本当に辛かったです。

そして致命的だったのは、その時は妻に本心を打ち明ける事ができなかった事です。半ば無理やりに起業していたので。

借金の事も話せず、「もうひと踏ん張りで何とかなる」くらいの嘘の状況を話して。

ひたすら一人で苦しんでました。

もう、後はXデーを決めるだけでした。

先輩と上司の上司の助けにより命をつなぐ

そんな時でした。

出店している所に、偶然前勤務先の先輩が来ました。

少し話をして、深刻な事情は隠して、思ったように上手くは行っていない、くらいのニュアンスの話をしたと思います。

この先輩は後輩思いでした。
きっと、助けてやろうと思ってくれたのでしょう。

数日後、先輩から電話が来ました。

「部長(元上司のそのまた上司)にお前に会った事話したよ。○○(元上司)をクビにするから、おかもと戻ってこないかな?て言ってたぞ。」

ありがたかったです。

更にありがたかったのは、この話に対して、その方向で考えたい旨を回答した所、部長がわざわざ札幌まで来てくれた事です。私を説得しに行くと言う体裁を作って。

説得も何も、もうそれしか生きて行く道はないのに。

かくして、私は前勤務先に、再就職する事が決定しました。

余談ですが、この部長には大変お世話になりました。
結果的に私が再就職先を再度退職する3年ほど前に定年で退職され、それが私の退職にも影響を与えたのですが、在職中はとても可愛がってもらいました。

人生の中の大恩人の一人です。

起業に失敗した後に残るもの

私は起業に失敗したのにも関わらず、こうして運良く再就職する事ができました。

会社にはそれから15年間、大変お世話になりました。

最後は自身の能力不足により、会社の成長に着いて行く事が出来ずに、せっかく戻してくれた元部長、きっかけを作ってくれた先輩に申し訳ない形で退職してしまったのが悔やまれはしますが。

とてもありがたかったし、感謝しています。
めでたし、めでたし。

・・・ではないんです!!!

忘れてはいけません。
そんな私に残ったものを。

死なずに済んだだけ、とても助かりました。

でも、父親に400万円、消費者金融のカードローン50万円、合計450万円の借金が残りました。

サラリーマンが450万円の借金を返済するのは大変な事です。

父親に毎月4万円、カードローンに1~2万円を返済し、最終的には8年ほどかけて完済しました。

それでも主な借入先が父親だったので、金利をほぼ払わずに済んだので良かったですが、仮に全額カードローンだったりしたら(現実は不可能ですが)、もしかしていまだに払い終えていないかも知れません。

私は本当に運良く最小限の打撃で済みましたが、起業に失敗すると言う事は、これだけのダメージを受ける事なのです。

だから、一度起業したら絶対に失敗してはいけません。

日本の社会の仕組みは、一度失敗したら、再起するのは至難と言われます。
(正直、他の国の事は何も知らないですが・・・)

破産したら社会的信用がゼロになるし、借金が残ったらそれはそれで借入のハードルを高くしてしまいます。
私は再起して今は会社経営5年目になりますが、これは割とレアケースだと思います。

そして、再チャレンジできたのは15年後の話です。

失敗しないための勉強をして、失敗しないための作戦を立てて、失敗しないための準備を万端にして、しっかりと実行する事が大切なんだと思います。

この当時の私にも、声を大にして言ってやりたいです。

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